難聴についてお話します。
難聴は誤解されやすいと思います。
難聴といっても、十人十色で、千差万別です。
難聴者の一人である私が、難聴をよく理解しているかといえば、
そうであるとも言えるし、そうでないとも言えます。
難聴者の数だけ難聴があると言っていい。
その中の一人私が理解し得ている限りにおいて、
難聴というものについてお話させていただきます。
いろいろなアプローチがありますが、
まず、難聴になった時期からいきましょう。
生まれつきの難聴者は、聞こえの度合いに応じて、
言語の習得に違いが出ます。
聞こえないほど、発声が不明瞭になっていきます。
私は三歳の時の中耳炎で難聴になりました。
言葉の習得時を過ぎた後なので、
このくらい話せるのです。
それから、もっと後、
自己が確立した後に聞こえなくなった人を、
中途失聴者と言っていいかと思います。
この人たちは、
聞こえる自分による自己や社会的地位というものが既に出来た後なので、
それらの多くを失い、
早くからの難聴者とはまた違った難聴の意味を負っています。
私が思うに余りあるものがあります。
そうして、年老いての老人性難聴というものがあります。
それから、聞こえの度合いに応じて、
軽度・中等度・重度の難聴という分け方をします。
実際に障害者手帳を受け、障害者として扱われるのは、
中等度からになりますが、
軽度であっても、聞こえない事から受ける不利益はあります。
この聞こえの度合いも、固定的なものではなく、
進行する場合があります。
先ほど、軽度・中等度・重度と申し上げましたが、
こういう表示をしますと、
よく聞こえる人の聞こえのボリュームを段々に下げていったようなイメージを持ちやすいのですが、
実際はもっと多様です。
片方の耳が全く聞こえないが、もう一方の耳はよく聞こえる人もいます。
また、高い音が聞こえにくいけれど低い音はよく聞こえる人もいます。
無論、低い音が聞こえなくて、高い音が聞こえる人もいる。
例えば、私は赤ちゃんの鳴き声や、やかんの口でピーと鳴る音がよく聞こえますが、
切り忘れた換気扇の音は聞こえなくて、注意されるのです。
幾つかの単語からなる話の中で、ある単語が聞こえ、他の単語が聞こえない時が出てきます。
ひとつの単語の中で、聞こえる音と聞こえない音とが出てくる場合もあります。
それから、難聴の原因となっているのが、耳のどの部分かによって、
その聞こえる音が全く違ったものになっていることもあります。
そして、外からの音ではなく、耳の中で発声する音、
耳鳴りに悩まされている人もいます。
この聞こえを補おうとして、
相手の唇を見、その形から音を推測することがあります。
ドラマや映画等で読唇を表現していますが、
実際には、あの様にうまくできないことのほうが多い。
よく引き合いに出される例は「くすり」(薬)です。
聞こえなさを補う機器として、補聴器があります。
これは、基本的に、
マイクに入ってくる音を増幅して、耳の中へ送るものです。
聞こえる人には、聞こえのフィルターというものがあって、
それを通して、聞きたい音だけを拾い出せると、
専門家の書いたものを読んだことがあります。
雑踏の中で特定の人の話だけを聞いたり、音楽の中から歌詞を聞き取れるのがそうです。
けれども、補聴器はそのような機能がなく、
生活の様々な雑音がそのまま全体として大きく響いて聞こえます。
これをよく聞こえる人がつけますと、
あらためて多くの雑音が鳴り響いていることに気付かれるでしょう。
この不要な多くの音を長時間耳元で聞いてしまうので、
補聴器をつけるのは、大変疲れるものです。
補聴器を外すと、耳の中に空気が入って心地良いし、
離れた所から聞こえてくる音のやわらかさにホッとします。
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補注(後で補足説明したもの)
補聴器についても、難聴者それぞれに接し方が違います。
補聴器を隠すようにつける人もいれば、
カラフルな補聴器でおしゃれをする人もいる。
箱型や耳掛け型、そして耳穴式という風にいろいろなタイプがあり、
概して、前の方ほど出力が大きい。
箱型は、マイク部分を話し手の方へ近づける利点がありますが、
かさばりますし、コードが邪魔になる場合もあります。
耳穴式は、かさばらないのでいいのですが、
不用意に扱うと落とすし、付けたり外すのに手間です。
私は、以前、耳掛け式を使っていました。
でも、汗などで早く使用不能になったのであきらめました。
そうならないよう、メッシュのカバーをきちんと着けている方もいるのですが(^^ゞ
補聴器の出力を上げていくと、ハウリングを起こします。
ピーピーという音が出るのです。
そうならないよう耳型を採っているのですが、
それでも鳴る事がしばしばある。
で、前に言ったように、高音が聞こえない難聴者の場合、
このハウリングが聞こえません。
気軽に、遠慮なく教えてあげてください。
長い間、補聴器と付き合ってきた友人の中には、
よく聞こえる補聴器より、長時間聞いて疲れない補聴器の方を選び、
かえって、安い補聴器を使うようになった人もいます。
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では、次に
聞こえない事で、どのような感情や人間関係が生じてくるか、
お話します。
人の話は、事物の情報だけではなく感情をも伝えています。
だから、聞こえなくて、聞き返す事が出来ないこともある。
聞こえたふりをしてしまう。
例えば、皆が楽しく話をしている時に、何度も聞き返すのは、
その場の雰囲気を壊しやすい。
他愛もない話をして気持ちを通わせる時に、
聞き返されたら、何度もは言い返しにくいでしょう?
しらけたりします。
それから、他の人がいるところで、大きな声で話づらいこともあります。
「あなたのこと、嫌い、じゃない」
「ちょっと、手洗いに行ってきます」
「そんなこと、大きな声で言うもんじゃないわ」
話が込み入っている時、
聞き返すのが、聞こえていないからというより、
理解していないからと思われて、癪な時もあります。
聞こえていないのと理解できないのとを混同されるのです。
また、聞くことに一所懸命で、
その後、聞いたことについて考える。
これは、よく聞こえる人がほぼ同時にしていることで、
例えば、喧嘩のシーンなどを思い出していただけたらいいかと思います。
聞こえていないと、ああは、丁丁発止と、やり合えない。
聞こえない人には、聞く事と答える事との間に、ズレが生じて、
これも、頭が悪いという風に見られがちで、かなしい。
私自身、実際頭が悪くて、
理解不能・判断不能な時があるので、
このことについてはこれ以上つっこみません(笑)
また、次のようなコミュニケーションもあるでしょう。
言いたいのではなく、聞いて欲しい。
そういう話は、大きな声でしづらいし、くり返し話しにくい。
世の中には、よく聞こえている人の間で、
聞いて聞かないふりをする場面があります。
また、故意に相手に何度も同じ事を言わせる場面もある。
だから、聞こえない事が、複雑にねじれた場面を作ってしまう。
相手を馬鹿にしたように受け取られたり、
生意気に思われたり、します。
よほど気が強い人でないかぎり、
対人関係において、引っ込み思案になっていきます。
物の見方が、悪い方へと向います。
いい方へ向けて考えるより、後の始末がいいので…。
引きこもりがちになり、暗い考え方になっていく。
こうして、ますます人から離れていく方へ拍車がかかって行きます。
聞こえない事が、聞こえない人に及ぼすこのような事を考えますと、
何よりも大事なのは、
聞こえない人に対する信頼です。
いろいろな人がいて、中には素直じゃない人もいる。
そう、ひねくれた人もいるかもしれません。
でも、聞こえない人は、うまく要領よく立ち回ってやろうという考えは浮かび難いものです。
やろうとしても出来ないし、偶々出来ても続きませんから。
どうしても、愚鈍な方へ寄っていきます。
相手が聞こえていない事にたって、その場に応じた対応をしていただけたら、幸いです。
大きな声が出せなければ、書く。
その場で繰り返して話す余裕がなければ後でゆっくり話す。
ゆったりとしたコミュニケーションを心掛けてください。
ポンポンとした受け渡しを楽しむコミュニケーションを楽しみたかったら、
相手の聞こえに合った方法を選んでください。
聞く、話すは、なんといっても気軽なコミュニケーションですし、
その効用は、大変に広く深いものがあります。
聞こえが残っている人ほど、
そういう日本語のコミュニケーションを選びます。
また、そういうコミュニケーションをしている人の絶対数が多いので、
家庭でも職場でも難聴者は健聴者の傍にいることが多いのです。
手話を使うのは、全く聞こえない人、ほとんど聞こえない人が多く、
また、そういうコミュニケーションが成り立つ場面へと寄っていきます。
聞く事話すことに寄りかかった生活をしながら、
手話を身につけ、使うのは容易ではありません。
だから、要約筆記は、難聴の多くの人にとってありがたいのです。
どうぞ、これから、宜しくお願いします。
2004.7.20