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カテゴリ:聴覚障害( 11 )

聞く楽しみを

聞く楽しみを持たないわけではありませんが、
楽しめる時が殆ど無い。

難聴ですと、何かをしながら聞くということが出来ません。
話をしながら仕事をするとか、
家事をしながら話をするとか出来ないのです。
する事を止めて、聞くことに専念せねばならなくなる。

それでも、よく聞こえないことがあって、なお更悲しくなりますが、
それはさて置き、勝手に一人で居られた独身の頃が一番よく、
聞くことを楽しめていたと思います。

高校から大学時のラジオや、
仕事をし出してお金に余裕が出来、レコードを買えた頃が、
そういう幸せの絶頂でした。

家庭に入ると、いつ誰が話しかけるやら分からず、
話しかけてきたらそちらを優先せざるを得なくなるので、
ヘッドホーンをかけて、周りから遮断された世界に入るのは、
無理が生じます。

加えて、歳と共に大きくなる耳鳴り。
必要なとき以外は、耳を休めようという気持ちに傾きます。

そんなわけで、音を消して、
テレビを見たり、DVDを見たりしています。
本を読むのが一番無難…

その読書にも、聞く楽しみがまとわりついています。
在京ラジオ「読書番組」盛況
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20080709bk0a.htm
(2008年7月9日 読売新聞)

NHKの私の本棚や日曜名作座を楽しんだこともあり、
民放も含めていろいろな声を楽しんだこともあります。
そういう思い出を持ちながら、聞けない今だけに、
こういう記事は泣ける…(笑)

好きな声を聞きながらゆったり時を過ごす、
なんて、ものすごくうらやましい!
嫉妬を感じるくらいです。

書きながら、関光男さんのお声を思い出し、
涙が出そうになる。
馬場こずえさんのお声にもたくさん元気を貰ったっけ♪

なんかね、お気に入りの声を探したくて、
閉じこもりたくなりました(爆)

〉音を消して、テレビを見たり、DVDを見たりして
居るところに、家族が来て音を出し、
それが聞こえたりすると、意外なスイッチオンがかかります。

「田舎に泊まろう!」を見ていると、
途中から、音楽入りになる事がある。
下条アトムさんの時には、「思い出のグリーングラス」がかかり、
麻丘めぐみさんの時には、カーペンターズが聞こえてきた。
カーペンターズくらいになると、
娘が「アッ、この曲知ってる!」と来る。
「思い出のグリーングラス」だと、こっちが突っ込む。

そんな時、聞こえる能力が少しでも残って良かった、
と本当に思います。
聞く楽しみ、どうぞ、私の分まで楽しんでください。
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by kimipoem | 2008-07-27 22:30 | 聴覚障害

情報社会のなかの難聴の世界 (前半)

本日は、ご来場いただき、ありがとうございました。

これから、皆様に、
インターネットでのニュースをとおして、
難聴について関心を持ってもらい、理解していただきながら、
この県立図書館のことも、その利用面から、合わせてご紹介していこうと、
思います。

どうぞ、よろしくお願いします。

インターネットの検索で有名なグーグルで、
指定した言葉を含むニュースを、メールで送信してくれるサービスがあります。

ここに、今年の3月から4月にかけ、
「難聴」と「聴覚障害」を登録しました。
7月から8月にかけ、150件に達しました。

まず、最初に、それらの中から、
2005年の3月から8月にかけての「今」を感じさせられた、
ニュースを紹介します。

〔20005年3月から8月にかけての難聴の世界〕

今年のプロ野球開幕時、
中日ドラゴンズの石井投手についての記事を一番多く見かけました。

彼は、補聴器をかけて投げ、
高校野球横浜地区で「サイレントK」という異名を取りました。
そういう書名の、彼の本が出ています。
こちらが、そうです。

『サイレントK 沈黙のマウンド
石井裕也著
1999 日本文芸社』

練習試合ですけれども、
あの松坂大輔と投げあい完投したそうです。
すごいですね。

しかし、その松坂にホームランを打たれました。
それは、ともかく、その本には、
おかっぱ頭で補聴器を隠している写真もあります。

そんな彼も、勝利投手としてお立ち台にあがりました。

この夏の高校野球で、地区予選での難聴球児の記事がいくつか出ていまして、
中には、「東北のサイレントK」と見出しをつけられたものもいました。

障害者のスポーツということで、
今年は、岡山で11月に全国障害者スポーツ大会が開催されます。
その大会へ向けてがんばっている選手の紹介記事もありました。

この方は、砲丸投げです。
補聴システムのある桃太郎スタジアムでの活躍を期待し、応援しましょう。

いろんなスポーツがありますが、
今人気のあるスポーツとしてサッカーは、無視できないでしょう。
7月には、J1川崎の選手が突発性難聴と診断され、試合を欠場しました。
これは、それまで、聞こえていた人が突然、難聴になるものです。

〔個人情報と聴覚障害〕

4月から個人情報保護法が全面施行されました。
実際にいろいろなことが起きて、困っている方もいます。

ある病院では、外来患者の呼び出しを
「名前で呼ばないでほしい」と申し出があれば、
個別に受付番号を使うことにしました。

でも、患者の約7割が高齢者という病院は
「完全に番号とするのは、現行では難しい」と
対策を模索中です。

別の病院では、聴覚障害の患者の呼び出しに使うポケットベルの活用も視野に入れました。

意外なところで、聴覚障害の言葉が飛び出しております。

それから、
光高校爆破事件
という傷ましい事件もありました。

この事件で被害にあった生徒の中に、
難聴になったものがいるのです。

先の国会では、
自立支援法についての審議もされました。
よくわからないところもありましたが、
いろいろ問題を含んでいたようです。

悪質リフォーム
の問題もあり、
犠牲になった難聴者もいます

けしからん話ですよね。
じーっと見ていると腹がますますたってきますから、
次にまいりましょう。

来年のセンター試験から、
外国語科目の『英語』にリスニングが導入されます。
難聴児を持つ親の方が以前からいろいろな場で、
善処していただけるよう、発言されていたのを思い起こしました。

重度の難聴者には、審査の上でリスニング試験免除が認められる。
と書かれてあります。

ここに、今年の大学入試センターの受験案内があります。
その33頁を見て確認しました。
自分が受けるわけではないんですが…

それから、映画関係のこんなニュースもありました。

これは、先ごろ、「オペラ座の怪人」という映画で人気の出た俳優さんが、
次の映画作品の宣伝のために来日したニュースで、
その映画には、聴覚障害の男の子が出ます。

映画の題名は、「Dearフランキー」で、
この図書館から近い、電車通りに面した映画館で、
今度の土曜日から上映されます。

先日、予告を見てまいりました。
友達が後ろ向きに歩いて、聞こえない少年に話す。
口を見せているのですね。
先生の質問には、答えをメモ帳のようなものに書いてみせていました。
地味だけど、なかなか良さそうです。

ついでに、申し添えますと、
この映画館の最後列から二列は、
補聴システムが備わっています。
是非覚えていただき、
必要な時、必要な方には利用していただきたいと思います。

この後は、
難聴について、おおざっぱに歳を追って、テーマごとに触れながら、
図書館の利用の話もしていきます。

難しい話も出てくるかと思いますが、
わかるところだけ、理解していただけたら結構です。
わからないことを理解しようとしますと、
頭痛がしますよっ。

生まれながらの難聴を先天性難聴といいます。

以前は、言葉を覚える時期を過ぎて難聴に気づき、
聞き取りも、発声も立ち遅れたものですが、
現在では、生まれてまもなく聴力検査ができるようになり、
対応ができるようになりました。

この検査を、
新生児聴覚スクリーニング
と言います。

最初の検査結果はまだ、
聴覚障害のおそれがある、というあいまいなもので、
はっきりしたものではありません。

でも、もし聞こえないとしたら、
早くから補聴器をつけさせ、
言葉を覚え始める時期を逃さずに音を入れると、
そうしないよりは、聞き取りでも発声でも
より効果が期待できるようです。

この
新生児聴覚スクリーニング
って、なんだろう?

新聞では非常に簡単な説明しかありません。
もう少しきちんとした詳しい事を知りたい時には、本がいいですね。

図書館で図書検索をしますと見当たらないので、
二階の自然科学のレファレンス担当のカウンターへ尋ねに行きました。

そこで調べたら、ここの県立図書館にはないけれど、

『新生児聴覚スクリーニング 早期発見・早期教育のすべて』

という本が出版されていると、分かりました。

カウンターでの係りの方から、
「購入希望を出されませんか?」
と言われました。

図書館の本は、主に図書館の職員が選んでいるようです。

大変多くの出版物がある中、
取次店から来たもの、
図書館流通センター(TRC)から出ている資料、
などを前に、
予算を横目に見ながら、
楽しくもつらい選択をしていることと思います。

でも、そこに、
利用者からの要望が入ると、選択肢が増える。

本当のところ、読んで理解できなかったら申し訳ないな、
と思いもしましたが、
そこを判断するのは、図書館に任そう、
と居直りもしました。

後日、県立図書館に入ったその本を、
読んでみると、
分からないところもありますが、
分かるところもある。

分かるところだけでも、私には相当な収穫で、
県立図書館に、感謝感謝、です♪

スライドに戻りましょう。

岐阜県では本年度6月補正予算編成で、
赤ちゃんの聴覚検査事業費が盛り込まれる方針が固まった、
という記事です。

では、私たちが住む岡山県ではどうなっているのでしょうか?

この図書館の二階にある、郷土資料のカウンターで、
そういう事を知りたいのでなにか資料はないですか?
と聞いたら、

「岡山県決算付属書」

というのがあります、と教えてくれました。

その平成14年度によれば、
新生児聴覚障害検査という委託事業に、
4,865万円余りが計上され、
岡山赤十字病院他40件への委託がされています。

その結果も知りたいですよね~。
一緒に、

「主要施策成果説明書」

という本を渡してくれました。

それによれば、
平成13年度から始まっており、

初年度は、
8361人が検査を受け、33名が要精密検査とされました。
引き続き

平成14年には、12,665人が受け、64人が要精密検査、
平成15年には、13,222人が受け、67人が要精密検査、

とされました。

この人数は、その後、
療養開始や経過観察となっていくと少なくなり、
1000人に一人という割合になっていきます。

でも、「要精密検査」と言われただけも、親のショックは大きいと思います。
それにつながるニュースがこれです。

「赤ちゃんの聴覚検査:普及はしたけれど…サポート体制づくりを」
という記事です。

ここに、次のような文章があります。

「検査装置の普及が進み、日本産婦人科医会の調べでは、
既に3割近くの病院や診療所で新生児聴覚検査が行われている」

では、又しても、岡山ではどうでしょうか?

地元の新聞、山陽新聞のデーターベースへ、
この図書館の二階にある情報端末からアクセスできます。

検索しますと、新生児聴覚検査について、
7月4日に記事がある事が分かりました。
その主文も端末で読めます。

「今では県内の全新生児の約75%が検査を受けられる」

実は、この記事、

難聴幼児通園施設「岡山かなりや学園」が1975年に設立され、
今年30年になる、

というものでした。

このかなりや学園の福田先生に、
午後の分科会で、お話していただく予定です。
新生児スクリーニングにかかわるさまざまな事を、
よりくわしく、わかりやすく知っていただけたらと思います。

先にご紹介した、
「新生児聴覚スクリーニング」
という本には、
福田先生とともに、

岡山大学の福島先生も、執筆されています。
福島先生は、聴覚スクリーニング関係以外にも、
いろいろ難聴に関わる仕事をされています。

7月の下旬には、
「遺伝性難聴の治療が期待される研究を発表」しました。

又、人工内耳の手術もしています。

人工内耳について知ってもらおうという講演会・体験談発表の記事が、
5月下旬、7月の上旬に見受けられましたが、

これも県立図書館二階で利用できる
朝日新聞のデーターベース「聞蔵」(きくぞう)
で検索してみると、
他にも、各地でこういう催し物のあった事が分かります。

岡山県では、去年の6月に、
岡山県難聴者協会主催でこのような講演会を行いました。
実は、協会のほうで、その講演会を小冊子にしています。
関心ある方は、受付で問い合わせて下さい。

さて、その人工内耳ですが、
始まった頃に比べ、手術費は大変安くなりました。
また、手術数も増え、信頼性が高まっているようです。

でもね、維持していく上での費用が高いらしく、
その助成を求める要望書を提出したという、
熊本での記事がありました。

このような要望も各地で出されており、
その結果の一つ、

大分市では、全国に先駆け、
「人工内耳」買い替え費用の助成をすることを決めたようです。

次の話題に行きます。

送られたニュースの中で、
難聴学級についての記事が、
私の予想以上に多く見受けられました。

私が思っていたのは、
聞こえる子どもたちと一緒に学ぶインテグレーション、
統合教育が進み、
聞こえる子どもたちの中に、多くの難聴児が入り込んでしまっている、
というものでした。

順々に見ていきましょう。

これは、たった一人の為に、
難聴学級を新設し、卒業に至ったものです。

こちらは、
難聴学級に通う子が、家の近くの小学校で、
自分の学校生活について発表したもの。

他には、
ろう学校に軽度難聴児の通級指導教室を開設したものもありました。

そして、
難聴学級のある小学校とろう学校とが交流したニュースですね。

でも、いい話ばかりではありません。

京都では、難聴学級の存続を求める、
「京都難聴児親の会」の署名運動があり、
署名に添え、要望書を教育委員会に提出しています。

ここで、
岡山で就学している聴覚障害児の様子を見てみましょう。
平成14年を例にして調べてみました。

「教育要覧」によれば、この年度の小学校児童数は、113,246人です。
そして、
「学校保健概要」、
これは、学校での健康診断の記録が載っているものですが、
そこに、検査を受けた人数があり、

さらに、
その16頁に、聴力異常の項目があります。

正確なところは、
皆様ご自身で本にあたり、確認していただければ幸いですが、
私の粗い読み方では、差し引き、
348人が、聴力異常のまま、
と読めます…

別の資料によれば、
平成14年の、
ろう学校の小学部に20人、
小学校の難聴学級に27人でしたから、

これも差し引くと、

301人が聞こえる子と一緒に学んでいる、
と読み取れます。

私は資料からこのように読み取りましたが、
実際の状況はどうなのでしょうね?

この301人の、
聞こえる子といっしょに学ぶ、難聴児教育についても、
午後の分科会でふれる予定です。
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by kimipoem | 2005-10-22 12:48 | 聴覚障害

情報社会のなかの難聴jの世界 (後半)

さて、次は、
大学での難聴者・聴覚障害者に、目を向けていきましょう。

大学におけるノートテイク、
これも、難聴・聴覚障害の世界では、
この4,5年での新しく、大きな動きだと思います。

ノートテイクについての紹介をしたHPが、あります。

ノートも紹介してあります。

それから、
沖縄大学でのノートテイクの話も報道されています。

ここで紹介されている学生の田中さんは、旅行で沖縄が気に入り、
進学先も沖縄と決めていたそうです。
そして、入った沖縄大学でこのように支援体制が立ち上がり、
かなり本腰が入っています。

岡山でのノートテイクのニュースもありました。
関係者の方、来られているのでしょうか?
どこにいるのかな?

そして、
このノートテイクの世界で、
先のほうを行っていると思われる群馬大学の紹介が、
こちらです。

ノートテイクについても、
午後の教育分科会で、ふれる予定です。

しばらく、スライドはお休みして、
図書館の世界についてお話をします

みなさんは、県立図書館で、
ほかの図書館の本を借りて読むことができる、
のをご存知でしょうか?

先にインテグレーションという言葉を出しました。
この頃、いろいろなところで出てくる新しい言葉です。
この言葉の元には、ノーマライゼーションと言われる考え方があります。

この機会に、
ノーマライゼーションについてキチンと目を通しておこうと、
思い立ち、
関係重要資料が本になっていないか、
と社会科学のカウンターで調べてもらいました。

すると、

『国際連合と障害者問題』

という重要関連決済文書が岡山大学にあったので、
早速岡山大学から取り寄せてくださり、
そのカウンターで手にすることができました。

県立図書館には、無い本でも、
このように、他の図書館にある本を、借り出して読めるのです。

実は、その後、
この本は、県立図書館に、入っており、
私の持っているのが、その本です。

図書館と図書館とがつながっている話を、
聴覚障害に関係のある本を例にとって、
さらに、二つほどご紹介します。

手話の世界では有名な伊東さんという方の著作集を、

『伊東雋祐著作集 手話と人生』

以前、市立図書館で希望しましたら、
これは、県立図書館で買って頂きますので、
お待ちくださいと言われたことがあります。
後で、県立図書館から市立図書館にまわして、
読むことができました。

一つの図書館の窓口が、他の図書館へとつながっている、
と実感させられました。

もうひとつ。
「わが指のオーケストラ」という漫画で有名な作品があります。
口話教育が盛んな時代に、
手話教育を絶やすことなく、頑張った人たちの話です。

その原作である、

「指骨」
川渕依子著
1967 新小説社

を読みたいと思いました。

モデルになった校長先生の娘さんが書かれたこの本を求めた時、
これも、市立図書館での事でしたが、
遠くの地方の図書館から取り寄せてくださいました。

ここ、県立図書館では
県下の公共図書館を意識して、つなげており、
ネットで横断検索できるシステムを作ったり、
図書館同士で情報を交換し合うサイトも設けております。

じゃ、また、難聴のお話に戻ります。
次に、大人の難聴者へ移ってまいりましょう。

「わが国の身体障害児・者の現状」

という副題のついた

『平成13年度身体障害児・者実態調査結果報告』

が、
社会科学のレファレンスの近くの開架書架にあります。

それによりますと、
平成13年6月には、
324万5千人の身体障害者がいて、
そのうち、
聴覚・言語障害が、
34万6千人となっています。

これを、年齢別に%で表した数字を、
表にしてみました。

60歳以上で、74.9%を占めます。

また、
40歳以降で、増え方が大きくなっているのも分かります。

では、どのようにして難聴になっているのでしょうか?

騒音性難聴というのがあります。

沖縄にある米軍嘉手納基地からの騒音によるものだとか、

採掘現場の騒音によるもの

それから、
音楽によってなる難聴

去年放送されたテレビドラマ「砂の器」で、
主人公が作曲していた曲は、
本当は、この方が作曲していたものです。
天才バイオリニスト千住真理子さんのお兄さんでもある、
この方は、講演などで音楽の持つ怖さを取り上げています。

その中のひとつが、大音量のステージでなる難聴です。

また、突然の大きな音でなる難聴。

先に紹介した事件での爆発音によるものです。

そして、
突発性難聴という病気でなる難聴。

この方がそうだし、

次のニュースで紹介されているのは、
要約筆記のボランティアをするつもりだったのが、
約3年前に聴力を失い、逆に要約筆記を頼む立場になった、
というものなんです。

先に紹介したJリーグの選手も、この病名でしたね。

それから、
ゆくゆくは老人性難聴になる人でも、
実は、難聴はもっと若いときから始まっている場合もあるようです。
その難聴になるのが急激に進むのが、
進行性難聴。

このように、
聞こえなくなる、難聴になるには、様々な原因があります。

また、原因不明も…

原因別状況についての調査もありました。

事故によるものが、10.1%
病気によるものが、18.8%

などなどですが、
その他・不明・不詳などの部分を合わせると、
56.6%もありました。

今度は、また、本の話に移ります。

図書館で調べるには、
さまざまな参考文献・統計資料が威力を発揮します。

でも、普通の図書も忘れてはいけません。

『突発性難聴の正しい取り扱い』

という本には、
ずいぶん詳しいことが書かれており、
多くを知ることができます。

ちょっと、読んでみますね。

この本では、
急激に生じた感音性難聴すべてを意味する広義のものを

突発難聴 または 急性感音難聴

とし、

現在において、(突発性難聴は)
原因が不明または不確実のものだけに限定されている

1973年(昭和48年)厚生省難病対策の特定疾患に指定され、
その診断基準および聴力回復の判断基準が確立されました
(1984年に改定されています)

突発性難聴についての数字がありますが、
グラフで、イメージだけを受け取ってくださってかまいません。

1971.7~1973.6 調査による、
推定発症者数は、年間3000~5000人

1987年(昭和62)年度には、
全国の推計受療者数は、年間14,000~19,000人(平均16,700人)

1972年度の3~4倍の増加

1993年(平成5年) 21,000~27,000人
2001年(平成13年) 32,000~38,000人

真に発症が増加しているか、あるいは受診率の増加によるものか 、
おそらく両者が関与している

特に増加が見られるのは若年層ではなく
男女とも40~70才代、
特に50~70才代の女性に増加している

この病気は、気に留めていると、
意外に多く、あちらこちらで見受けられます。
有名な人にも、なった人がいます。

ノーベル物理学賞を受賞された朝永振一郎さんの著作集の一巻には、
突発性難聴になって入院した様子を書いてある文章が載っています。

難聴としては、最後になってしまいましたが、
老人性難聴にまいります。

ニュースでは、
哀しいものが多く見受けられました。

豪雨でとりのこされた70歳代の夫婦、

悪質リフォームで被害にあった事例
さっき、ささっと移ったものですね。

消費者金融で提訴したもの。
ここでの被害者は、目も見えない難聴者でした。

データーベースなどでいろいろ調べ物をしている途中、
こういう事件でなくとも、
普段の暮らしで、なにかと虐げられている老人の姿が、
投書など、目に付きました。

これから、高齢化社会を迎えるというのに、
困ったことです。

でも、
いいニュースもありました。
こちらです。

病院でテレビの音を、
手元のスピーカーで聞けるようにした、
というものです。
赤外線補聴システムの応用です。

歳をとったら視力も衰えるので、
字幕より、こっちがいい人もいるのでしょう。

どう老人性難聴に接したらいいのか?
という問いに答えた記事が一つありました。

画面の下のほうにポイントがまとめてあります。

ここで、もう一冊ご紹介しましょう。
最後の一冊だから、
今しばらく、辛抱を…

中公新書で出ていて、最近活字の大きい本としても出版された、

『耳科学』

という本です。

難聴について幅広くふれていながら、
ところどころ深く学問的なことも書いてある本です。
その中で
老人性難聴について次のように記してあります。

中枢神経内の聴覚系の神経細胞が消滅することにより、
音の分析能力が低下する

つまり、言葉の明瞭度が低下する

音が聞こえても意味がとりにくい
方向性も低下する

これらの事実が、
高齢者では補聴器を装用して音を大きくしただけでは、
あまり役に立たないことにつながる

このように学問的にきちんと理解して、老人性難聴に向き合うと、
これまでの接し方と少し違って接せられるかもしれませんね。

老人性難聴については、午後の分科会で、
岡山大学名誉教授の小倉先生にお話いただく予定ですので、
役立てていただきたいと思います。

さまざまな難聴をご紹介してまいりました。
難聴がらみで、最後にもうあと二つほど、
紹介します。

聴覚障害者の情報保障手段として、要約筆記があります。
今は、前ロールという方法で情報保障していますが、
午後の分科会では、実際に要約しながら、
特殊な機器をもちいておこないますので、
そちらも是非ご覧ください。

次に紹介するのは、
その要約筆記のボランティアをしている方が、
ご自分の職場で要約筆記を活かしたものです。

プラネタリウムのある科学館の売店で働く方がボランティアで要約筆記をされています。
そのつながりで、プラネタリウムに字幕がつき、
聞こえない人もプラネタリウムを楽しめるようになりました。

さまざまなところへ日本語字幕をつけるのも、要約筆記の活動です。
岡山要約筆記クラブでも、
上映しているスクリーンに日本語字幕をつけたことがあります。
何年か前に、「ピンポン」という作品に字幕をつけた時など、
映画の公式サイトで話題にもなりました。

聞こえない人のコミュニケーション手段として、手話があるのは、
皆さん、よくごぞんじのとおりです。

その手話に関心ある方が、イルカの調教師をやっています。
その人が、
観客席で手話をしている親子を見かけたり、
聞こえずあきらめて途中で退場する方を見て、
手話に挑戦し、
手話で、イルカショーを楽しめるようにしました。
鹿児島の水族館の話です。

聞こえる方に、
聴覚障害に関心を持っていただけたら、
このように、私ども聴覚障害者の世界がそれだけ広がる、
可能性が増えます。
どうぞ、宜しくお願いしますね。

プラネタリウムの記事も、
イルカショーの記事も、
地方の新聞からでした。
この図書館には、主要全国紙だけでなく、
数多くの地方新聞があります。
それらのほとんどは、書庫にあって、目に付きませんが、
まず、ほとんどの方が驚くほどある、と私は思います。

驚くほどあると言えば、
今日はまったく取り上げませんでしたが、
雑誌も多いのですよ。
300以上あるところまでは確認しましたが…

私の母校、丸の内中学校の跡地であるここに、
県立図書館が開館して一年近くになります。
もう100万人以上入館しましたね。

天神町にある、あの坂道を登り、階段を上がり、
そうして、重いドアーを二つも押し開いて、
ようよう入れる旧館を、
30年余り前から利用してきたものとしては、
この盛況は感慨深いものがあります。

去年の旧館閉館前には、
毎月1万人余り、閲覧していた記録が、
新館開館後、月に7万から10万ほどの入館者数となっているのです。

新館の魅力は、いろいろたくさんあり、
利用される方、それぞれ贔屓があるでしょう。
大きく分けて、

資料、機能、職員、

となると思われます。

いずれも、利用する人がよりよく活用すればするほどに、
もっと、良くなるものばかりです。
ご一緒に、活用して、もっと素敵な図書館にしていきましょう♪

引き続き、図書館からのご案内を、お聞きください。
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by kimipoem | 2005-10-22 12:45 | 聴覚障害

目には見えない何か

目には見えない何か
中後期短編集1952-1982
パトリシア・ハイスミス著
2005 河出書房新社


中期の短編集にある、
様々なバリエーションの物語を読んでいる内に、
彼女が単なるサスペンス作家でない事がよく分かってきました。

読んでいて落ち着かない気持ちにさせられるのは、
自分の心の中にもある何かが照応しているわけですが、
読んでいる自分は作中人物と同じ様になってもおかしくないのに、
ならないのは何故だろう?
そんなところから、彼女の書こうとしているものが見えてきました。

それは、なにものにもとらわれない人間の心の危うさだと思う。
自分が犯罪を犯したり、一戦を越えないで居られるのは、
様々なしがらみや、多様な価値観の中でのバランス感覚があるからではないか?
人付き合いのしがらみが薄れてきたり、
一つもしくは数少ない価値観に寄りかかってしまいがちな、
現代人の心理を見据えて書いているようです。

登場人物は、皆、裕福だし、
家族はいないか、少ない。居ても、その結びつきは弱い。
そして、地域にも、特定の団体にも属していない場合が多い。
また、心の拠りどころが、少ない。
そういう人物が主人公になっている。
これは、現代人の特徴といわれているものでもあります。
彼女は、早くからその特徴をすくい上げ、取りまとめたといえるのではないでしょうか?
そういう特徴を備えた人が、どんどん増え、大多数になった現在、とも思えます。
怖い世の中です。

犯罪(者)への関心、現代人の心理への関心が、融合し、
それに的を絞り、ぶれなく書く筆致が冴えて、出来上がった作家でしょう。

翻って言えば、初期の作品について、
的を絞らず、いろいろな試みを現している、
という解題に頷ける事がようよう出来ました。
犯罪にとらわれない作品がより多く、(笑)
心理への関心のありようが覗え易いです。

なにものにも、とらわれないというのは、
言い換えれば自由、
更に言えば、不安定でもある。
ニュートラルな視点を堅持し続けて書くので、
話の先が見えず、
作者の上手さは見えても、作者が見てこないのでしょう。
でも、短編集を一通り読み、解題を読み直してみると、
彼女の人生観・人間観が込められているのが透けて見え出し、
驚きました!

この短編集の最後から二つ目の作品では、
犯罪も、事件も起きていません。
リプリ―の作者というところから、より自由な作者の素顔が見えるようです。
こういう作品を読むと、この短編集の目論見が見え出してきます。
人間の心の危うさばかりでなく、偏狭さもしっかり睨んでいる。

一通り読んで、ようやく、彼女の作品を読む準備ができる。
大人の文学なんだ、そう呟いてしまう。
彼女の日記などの研究が進めば、もっといろいろな事が見えてくること、
必定です。
彼女の文学研究は、大変そう…。

先の短編集よりは、先が読めにくく、上手くなっていると断じられます(笑)
つまるところ、またしても、巧さに、呆然とするだけでした(^^ゞ
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by kimipoem | 2005-04-09 10:07 | 聴覚障害

僕には仲間の声が見える

2005年1月7日放送のNHK番組「にんげんドキュメント」は、
「僕には仲間の声が見える」と題し、
近畿大アメフト部に所属する、西村君を紹介しました。

一歳の頃、聞こえないことが分かり、
お母さんの懸命の言語教育が施されます。
お母さんは、意識して手話を控えた。
それは、話す人の世界の方が、広いからです。

それでも、聞こえない子同士で固まりあう少年になる。
聞こえないものとの溝はどうしたってあるし、深いものなのです。
しかし、地元の子どもたちにアメフトを教えている人が、
彼を自分のアメフト教室に誘いこみます。

そこから、14年に及び、今に至るアメフトとの取り組みが、
彼にもたらしたものは大きいと思う。
大学の部の主将は、よきライバルであり、友人である。
互いに切磋琢磨して、状況を見る目を養い、
レギュラーとしてスタメンをはれる域に達した。

大学生活の終わり頃、大学の枠を超えたチームのメンバーになり、
日ごろの付き合いの無い者たちの中に入る事があり、
そこでは思うに任せない状況に追いやられた。

見終えて、
自分が難聴ながらここまでやってこられたのも、人の情けによる事を、
ひしひしと感じました。

西村君のお母さんが、手話の世界より広い世界へと、
彼を導くよう苦労された事は、大変な事です。
この人生の岐路で、どちらを選ぶかは、個々の人に負わされたつらい選択なので、
傍からは、何も言えません。

聞こえに応じて、性格に応じて、彼の世界がこれからも、広がるよう、願いました。
五十年以上、生きてきた者としては、まだまだこれからが、正念場だ、と思う。
人の情けを忘れずに、自分でできることを、一所懸命に広げ、伸ばし、深めて欲しい。

翻って、身の回りに、聴覚障害者がいる方に、申し上げたい。
あなたのささやかな情けで、その人は、もっとその人らしく成長します。
宜しくお願いしますm(__)m

突き詰めれば、これは、なにも聴覚障害者だけに限らない事なのですが、
人の情けこそが、人生の豊かさをもたらす、
と、よりはっきり気付かされます。
そういう風に、この番組を見ました。
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by kimipoem | 2005-01-23 22:10 | 聴覚障害

こころの耳

こころの耳
早瀬久美 著
2004 講談社

「障害を乗り越えて」という言葉がある。
でも障害を乗り越えたのではない。生まれてから誰にも教わらなかった「聞こえない」ということを自分でやっと理解して、それを自分の心の中に当たり前に受け入れることができた。
そして手話という言葉を手に入れた。聞こえないわたしが、わたしなんだ。
きっとわたしが乗り越えるべきものは、聞こえる人の心の中にある。

この一文が、早瀬さんの立場なんだな、
と読み終えて、納得させられる著書です。

生まれた所は九州の大分ですが、幼少の頃を岡山で過ごしました。
その岡山大学附属病院で検診を受け、当地にあるカナリア学園に通われた由。
私が大学生の頃、同じ街に居たんだ、とちょっとビックリする。

その後、上京し、筑波大学附属聾学校幼稚部を皮切りに、進学していきます。
中学の頃、母親と同じ薬剤師になりたいと思う。
そうして、聞こえないことに理解ある、理系の高校、明治薬科大学へと進み、
又、全日本ろう学生懇談会関東支部(旧、関東聴覚障害学生懇談会:関コン)と出会う。
大学卒業時、何社かに「耳が聞こえません」と書き添えたファックスで問い合わせをし、
返事のあった大正製薬株式会社に一般枠で採用されました。

この後、薬剤師国家試験に合格してからの記述が、本書を手にされた方の狙いで、
それに見合う詳細な推移を読むことが出来ます。
この記述は、しかし、聞こえない子との関わりについての文章と交互になされます。
今のご主人と出会われてからの様々な事が、
薬剤師の事に勝るとも劣らず今の私には大切なのだ、
という早瀬さんの気持ちが込められている。

一般社会で聞こえないものが生活していく為に必要な努力を、
結婚披露宴で身を持って示している辺り、感銘を受けました。
そして、それは、自分のためというより、後に続く聞こえない子等に向けてのものなのです。

日本で最初の聞こえない薬剤師となった早瀬さんご自身の、
この問題についての報告書は、
これから一般社会で暮らしていく聞こえない人への一つの指針ともなっています。
実際には、もっと様々なことがあって、なかなかうまくいかない事が多いでしょうが、
それでも、聞こえない人と聞こえる人とが一緒になって、
社会を営んでいく上で肝に銘じておきたい事が、ここには書かれてありました。

聞こえない人と聞こえる人とが一緒になって、
聞こえない人の住みやすい社会を作る為に、
聞こえる人にも是非読んで欲しい本です。
今、私たちは聴覚障害についての大きなターニングポイントにいます。
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by kimipoem | 2004-11-27 16:42 | 聴覚障害

みんなのこえが聴こえる

みんなのこえが聴こえる
アツキヨ
2003 講談社

アツキヨは、男女二人のデュエットで、
男性が、ギターを弾きながら歌い、
その傍らで、女性がサインボーカルを演じます。
著者は、アツキヨとなっていますが、女性が書いた本です。

彼女は、高音急墜性難聴で、2級の聴力しかありません。
2歳7ヶ月の時に気付き、3歳2ヶ月でそう診断されました。
お母さんは、彼女とろう学校や難聴児対象の小学校にある「こだまの教室」に通い、口話教育を施し、
小学校は普通の学校に通わせました。
いじめに遭いますが、負けん気が強くて、くじけません。
中学一年では学習机をまっぷたつに壊されもしました。
そんな彼女ですが、物心つく頃から歌うことが好きで、
小学3,4年の頃「音が外れているよ」という友達の指摘にショックを受ける。

高校三年の時に見たテレビドラマ「星の金貨」で、初めて手話に出会う。
進学の際、歌姫への憧れから東京に行きたいという思い強く、
筑波大学付属ろう学校高等部専攻科へ進み、
「しゃべらない世界」に入ります。
その頃に、アメリカへ行き、サインポエムに出会う。

卒業後、専攻した歯科技工士にはならずに、普通のOLとして就職する。
でも、人間関係に恵まれず、一人ぼっちの日々が続き、
ダイエットモニターになって過食嘔吐症状に陥るも、自力で治す。
そんなこんながあった後、会社の先輩と一緒に入った手話サークルで、
日本手話に出会う。
それまでの手話は、日本語対応手話でした。

そうして、サインボーカルが生まれる素地が整いました。
これは、彼女によれは、
日本手話の持つイメージ性を強調しながら、
サインポエムから学んだ表現をプラスしたもの、
ということです。

手話歌コンテストや手話劇に誘われるも迷いが残り、
自分は「音楽」が好きなんだ、と確認する。
でも、自分には歌声が欠けている。
しかし、ちゃんと音楽をやれる人と組めばいい、
その人が「声」と「音楽」をやり、
私は手話で「歌」を表現する。
そう、思い至った彼女は、相方を求めてストリートミュージシャンに目を向けていく。
この後は、本を読んでお楽しみください。
〈もうあまり残っていませんが…(笑)〉

後日談

視察に出かけた埼玉障害者国体のふれあい広場で、アツキヨのミニコンサートがあると知り、
以前から気になっていたこの本を急遽読んだ次第です。
コンサート後、買ったCDに目の前でサインを書いてもらい、
キヨちゃんと握手しました♪
柔らかくて、暖かかったよ~。
それはさておき、彼女は2級とは思えないほど、
よく声が出ていました。
難聴者は人ぞれぞれで、誰もが彼女のように出来るわけではありません。
彼女にしても、大変な努力をしています。
天分プラス気質プラス努力、だな・・・と強い印象を受けて帰りました。
帰岡して、手話をする重度難聴の友人の前で、
サインボーカルで、「土曜日、日曜日」のサワリをやって見せると、
「おっ!」と破顔一笑してくれました。
日頃、間違いだらけで下手くそな手話をやっているのとは大違いだったのでしょう。
今までにない表情でした(笑)
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by kimipoem | 2004-11-25 23:18 | 聴覚障害

要約筆記講座でのお話「難聴者について」 2004年秋

初めまして。

私は聴覚障害者の中の難聴者で、要約筆記のお世話になっています。

今日は、私を通して、
要約筆記を利用する聴覚障害者をより理解していただきたく、
お話させていただきます。

まず、外見からは分かりにくい障害です。
目ざとい人は、耳につけている補聴器で分かるかもしれません。
でも、直ぐにそんなところを見るのは、同じ障害を持つ人か、
いつも聴覚障害者に接している人たちくらいでしょう。
そして、その手がかりさえ、外してしまえば、見ただけでは全く分かりません。

それから、聴覚障害者によっては、話し方で気づく人がいるでしょう。
聞こえない・聞こえにくい事で、日本語を自然に習得できなかったものは、
発声が不自然になりがちです。
発声している自分の声が聞こえないか、本来の音声とは違って聞こえてしまうから、
聞こえている人たちと同じように、自分で聞きながら修正できないものなのです。

声の不明瞭さが、聞こえの程度や、聞こえなくなった時期をあらわします。

よく聞こえる人ほど、健聴者の自然な発声に近い。
又、十分に言葉を習得できる年齢を過ぎた後、聞こえなくなった人もそうです。

それ以前に聞こえなくなった人の多くは、発声の訓練をします。
これは、かぎりなく本来の声に近づいても、
聞きながら修正された自然の発声とは、違って聞こえるのが殆どです。

これまでのところで、
私が、よく聞こえる方で、言葉の習得時を過ぎた後の難聴者とご理解いただけるでしょうか。
三歳の時に中耳炎で難聴になりました。

私が今聞こえているのは、補聴器をした上での事です。
補聴器を外すと、右耳が全く聞こえず、左耳が健聴者の半分ほどしか聞き取れません。
この聴力で、中等度難聴といい、身体障害者手帳がようやく貰えます。
実際には、私より軽い程度の障害で、補聴器をせずに不自由している聴覚障害者がたくさんいるようです。

軽度であっても、普段の生活に困っています。
それでも、なかなか補聴器を早めにはつけません。
障害者として見られたくない・扱われたくない、という気持ちもあるからです。

そういう気持ちの半分は、障害者というものに対する社会の偏見からくるものです。
行き過ぎた偏見・至らない偏見があります。

これらは、もう半分の誤解・無理解からくるものです。

引き続いて、どういう誤解・無理解があるか、
という話へ移ります。

これまで、中等度・軽度という言葉を出してきました。
更に聞こえないのが、重度の難聴と申します。
これらの言葉から受けるのは、
だんだんに音量を下げていくようなイメージです。

しかし、実は、それだけではありません。
音域によって聞こえが違う場合があるからです。
同じ中等度であっても、高音の方がよく聞こえる人もいれば、
低音のほうがよく聞こえるものもいるのです。
例えば、この私、高音の方が聞こえるタイプです。
で、今、家で子どもたちの世話をしている私の連れ合いは、
低音の方がよく聞こえます。

やかんの口がピーッと鳴ったり、赤ん坊が泣いたら、
何でこんなやかましいのが聞こえんのだ、と私は思います。
でも、寝た後、換気扇のうるさい音がなぜ聞こえないのだと、
切り忘れたのを彼女に起され叱られたりもします(笑)

音域によって聞こえが違うために、
ひとつの言葉・ひとつの文章が違って聞こえてしまう。
50音同じように発声しても、声の高さがそれぞれ違うからです。

国語や英語のテストで、
文章の中の言葉や言葉のなかの一文字が空欄になったものを、
問題として出されたことがおありでしょう?
あの様に聞こえてしまいます。

他にも、違った音がすりかわって入ってしまう人もいる。
音として違うものになる事も有れば、
他の不要な雑音、例えば耳鳴りに悩まされながらのこともあります。

ところどころ聞こえて、その他が聞こえていない。

殆ど聞こえていたり、キーワードなどがきちんと聞こえておれば、
かなり理解でき、相手は、こちらが難聴だということを忘れることも起こり得ます。
でも、殆ど空欄だったり、キーワードが多く抜けていると、
全く聞こえないのと同じです。
時には、間違った推測をして、とんでもない解答を作り上げてしまう。

実生活における難聴者のこの問題は、学校での問題と違い、
健聴者にとっては問題ではないのです。
つまり、健聴者の前の難聴者は、
健聴者にはない問題を瞬時に解いているのです。
それも、殆ど、解けず、間に合わない。
間に合わないから、取り合えず、分かった振りをして、
今後の展開にその解答のヒントを期待したりします。

で、健聴者の方は、難聴者が理解したと思って、話を進めます。

この後、健聴者がオヤッと思った時、
人ぞれぞれ様々な判断をしてしまいます。

聞こえていないのか?
理解できないのか?
性格に問題があるのか?


健聴者が難聴者とコミュニケーションをしていて、
一番の誤解を受けるのは、この辺りでしょう。
聞こえていたり、聞こえていなかったりする。

今、コミュニケーションと言いました。
我々が普段なにげなく、やり取りしている言葉で、
情報の伝達ばかりでなく、感情のキャッチボールをしていることが、
意外に見落とされています。

伝えるだけなら、手渡すのが一番いい。
でも、力いっぱい言葉を投げることも有れば、
ゆるく言葉を放ることもある。
時には、そーっと置いて、相手に拾って貰いたいボールもある。

しかし、それら全てを、手渡してちょうだい、と言われたらどうでしょう?
それは、ちょっと違う、そう思いません?

だから、聞こえないもの・聞こえにくい者は、聞き返しにくいのです。

聞こえていないのなら聞き返しなさい、と私も小さい時から言われ続けてきました。
純然たる情報の伝達なら、大きな声を出したり、書いてでも伝えてくれます。
でも、多くは、「もういいよ」と中断される。

それは、いちいち、相手に手渡すのが面倒だからだし、
感情的な意味が違ってくるからです。
いいにくい事・恥ずかしい事を、きちんと聞こえやすく伝えると、
もとの伝えたかった感情が抜けてしまうでしょう?

健聴者はともかく、ボールを投げた。それで、ほとんどお仕舞い。
相手は拾えるはず、自分はボールを投げることは投げたのだ、というわけです。

難聴者は、上手くキャッチできていないのです。
先ほどの例でいえば、きちんと正解して、取れたことになる。
一つをなんとか拾おうとしている間に、
どんどん、いろんなボールがやってきて、どれも拾えずに時間が経っていき、
状況が変わってしまう。

こういう事が重なっていき、聞こえないもの・聞こえにくい者が、
だんだんに引っ込み思案になっていくのが、ご理解いただけるかと思います。




難聴者が引っ込み思案なら、あなたはそうじゃないみたいね、
って今、突っ込みたくなったでしょうか?(笑)

この話、もう一つ奥があります。
それは、自分が聞こえない事を受け入れるということです。

自分は聞こえない、でも、…という発想をしている人は、
自分が聞こえないことにまだ納得しきれていません。
様々な葛藤が心の中にあり、精神的に傷ついている人が多いのです。

聞こえない、だから…という発想に移れている人は、
聞こえないのはしょうがない、だからこうしよう、と展開します。
そういう難聴者もいます。

聴覚障害者といわれている人たちの中に、中途失聴者といわれる人たちがいます。
この人たちは、
「自分がまわりの誰とも違う、他ならぬ自分」であるようになった、
思春期以降に聞こえなくなった人、
そう私は解釈しているのですが、
そういう人たちなので、幼少の頃から難聴の私と違って、失ったものがあるのです。
もっと大きくなってからの人であれば、
職業や学歴、社会的地位を喪失してしまう人が、殆どでしょう。

私の見聞きした範囲では、中途失聴者は、聞こえない度合いが進行していくケースが多く、
全く聞こえなくなる人もいます。

そう、聴覚障害は、進行する事もあるのです。
私は、両耳とも安定して、さほど落ちてはいません。
でも、私の連れ合いは、落ちまして、重度の方へと移りました。
しかし、よく聞こえる部分は落ちていない…。
本人にとって、これはやりきれないです。
以前と同じくらいに聞こえながらも、以前に増して聞こえていない。
自分の実感としては受け入れがたいものです。

聴覚障害を受け入れるという話に戻ります。
この受け入れ、実は、聞こえない本人だけでなく、
相手、周囲の人たちにも必要な事なのです。

というのは、聴覚障害者が一人でいて何事も無い時、
この聞こえないは、障害でも何でもないのですから。
相手あっての障害なのです。

聞こえない人、聞こえにくい人のいるところで、
そういう人を思いやって、始めてこの障害は乗り越えられるのだと思います。

プライドの高い人、社会的地位の高い人は、なかなか相手を思いやれません。
自分が、相手の目線・位置に降りていきにくい人が多いのです。
そういう人に、聞こえない人への配慮を絶えず求めるのは、難しい。
障害がある人と無い人とを比べたら、
何とかできるのは、無い人の方であるのが、分かりきっているのにです。

聞こえる人と聞こえない人との仲立ちをして、この障害を乗り越える手立ての一つとして、
要約筆記があります。

他にも、手話がその手立てのひとつとしてありますが、
これは、普段日本語を使用しているものには、習得が大変に難しいものです。
普段使わないと身につかないのは、どんな言語とも一緒だと思います。

日本語を既に習得している者には、手話を習得するより、
日本語を使うことの方がはるかに、楽だし、なによりも、気持ちが入りやすい。
周りでも、日本語を使用している絶対数が多いという状況があります。


補聴器をしてて、私は中等度難聴者から離陸できている。
そう、思われているかもしれません。
でも、それは間違いです。

補聴器を付けていると、耳栓をしているのと同じであり、風通しがなく不快です。
それに、絶えず増幅された大きな音を聞き続けているので聞く事に疲れます。
時には、耳鳴りが酷くなったり、頭痛がするほどです。

皆さんの耳は、補聴器には、到底出来ない能力があります。
それは、多くの音の中から一つの音を聞き取ったり、
無用な音を聞き流したり、
聞いてしまった音を後から思い出すことです。

ある一つの同じ場所でたくさんの人がそれぞれに話をしている、
シーンを思い浮かべていただいたら、
よくご理解いただけます。

そういう席での補聴器に入ってくる音は人声だけではありません。
健聴者が気に留めない音も一人前の顔をして容赦なく入ってきます。
また、人の声には聞きやすい声と聞きにくい声とが有ります。
そして、複数の会話を聴き取る事ができないので、
後からおっかけて、他の人の話に加わるなんて、超ウルトラ技です。

だから、二人以上の人の中にいる聴覚障害者は、
一対一より、大変な不利におかれている事も知っていただけたら、
いいかと思います。

いろいろ述べて、一度に多くの事を話したので、
わぁー、大変だ!
と思われても困りますので、(笑)
我流で、聴覚障害者に対する時の基本だけを申します。

相手の聞こえ具合と、周りの状況とに応じて接してください。
急ぐのは禁物です。
どうしても急ぐのであれば、要点をまとめて書くのが一番早い場合もあります。

静かなところで、一対一であれば、ゆったり話して十分伝わる時があります。
騒がしいところで、大きな声が通じなければ、勿論、書くのが一番。

裏技を一つ。
キーワードを書くだけで、話がかなり通じやすくなる事があります。
正真正銘の要約筆記では決してしては、いけないことですが…(笑)

2004.8.24
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by kimipoem | 2004-10-10 01:36 | 聴覚障害

要約筆記講座でのお話 2004年夏

難聴についてお話します。

難聴は誤解されやすいと思います。
難聴といっても、十人十色で、千差万別です。
難聴者の一人である私が、難聴をよく理解しているかといえば、
そうであるとも言えるし、そうでないとも言えます。

難聴者の数だけ難聴があると言っていい。
その中の一人私が理解し得ている限りにおいて、
難聴というものについてお話させていただきます。

いろいろなアプローチがありますが、
まず、難聴になった時期からいきましょう。

生まれつきの難聴者は、聞こえの度合いに応じて、
言語の習得に違いが出ます。
聞こえないほど、発声が不明瞭になっていきます。

私は三歳の時の中耳炎で難聴になりました。
言葉の習得時を過ぎた後なので、
このくらい話せるのです。

それから、もっと後、
自己が確立した後に聞こえなくなった人を、
中途失聴者と言っていいかと思います。
この人たちは、
聞こえる自分による自己や社会的地位というものが既に出来た後なので、
それらの多くを失い、
早くからの難聴者とはまた違った難聴の意味を負っています。
私が思うに余りあるものがあります。

そうして、年老いての老人性難聴というものがあります。



それから、聞こえの度合いに応じて、
軽度・中等度・重度の難聴という分け方をします。
実際に障害者手帳を受け、障害者として扱われるのは、
中等度からになりますが、
軽度であっても、聞こえない事から受ける不利益はあります。

この聞こえの度合いも、固定的なものではなく、
進行する場合があります。

先ほど、軽度・中等度・重度と申し上げましたが、
こういう表示をしますと、
よく聞こえる人の聞こえのボリュームを段々に下げていったようなイメージを持ちやすいのですが、
実際はもっと多様です。

片方の耳が全く聞こえないが、もう一方の耳はよく聞こえる人もいます。
また、高い音が聞こえにくいけれど低い音はよく聞こえる人もいます。
無論、低い音が聞こえなくて、高い音が聞こえる人もいる。

例えば、私は赤ちゃんの鳴き声や、やかんの口でピーと鳴る音がよく聞こえますが、
切り忘れた換気扇の音は聞こえなくて、注意されるのです。

幾つかの単語からなる話の中で、ある単語が聞こえ、他の単語が聞こえない時が出てきます。
ひとつの単語の中で、聞こえる音と聞こえない音とが出てくる場合もあります。

それから、難聴の原因となっているのが、耳のどの部分かによって、
その聞こえる音が全く違ったものになっていることもあります。

そして、外からの音ではなく、耳の中で発声する音、
耳鳴りに悩まされている人もいます。



この聞こえを補おうとして、
相手の唇を見、その形から音を推測することがあります。
ドラマや映画等で読唇を表現していますが、
実際には、あの様にうまくできないことのほうが多い。
よく引き合いに出される例は「くすり」(薬)です。


聞こえなさを補う機器として、補聴器があります。
これは、基本的に、
マイクに入ってくる音を増幅して、耳の中へ送るものです。

聞こえる人には、聞こえのフィルターというものがあって、
それを通して、聞きたい音だけを拾い出せると、
専門家の書いたものを読んだことがあります。
雑踏の中で特定の人の話だけを聞いたり、音楽の中から歌詞を聞き取れるのがそうです。

けれども、補聴器はそのような機能がなく、
生活の様々な雑音がそのまま全体として大きく響いて聞こえます。

これをよく聞こえる人がつけますと、
あらためて多くの雑音が鳴り響いていることに気付かれるでしょう。

この不要な多くの音を長時間耳元で聞いてしまうので、
補聴器をつけるのは、大変疲れるものです。

補聴器を外すと、耳の中に空気が入って心地良いし、
離れた所から聞こえてくる音のやわらかさにホッとします。


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補注(後で補足説明したもの)

補聴器についても、難聴者それぞれに接し方が違います。

補聴器を隠すようにつける人もいれば、
カラフルな補聴器でおしゃれをする人もいる。

箱型や耳掛け型、そして耳穴式という風にいろいろなタイプがあり、
概して、前の方ほど出力が大きい。
箱型は、マイク部分を話し手の方へ近づける利点がありますが、
かさばりますし、コードが邪魔になる場合もあります。
耳穴式は、かさばらないのでいいのですが、
不用意に扱うと落とすし、付けたり外すのに手間です。

私は、以前、耳掛け式を使っていました。
でも、汗などで早く使用不能になったのであきらめました。
そうならないよう、メッシュのカバーをきちんと着けている方もいるのですが(^^ゞ

補聴器の出力を上げていくと、ハウリングを起こします。
ピーピーという音が出るのです。
そうならないよう耳型を採っているのですが、
それでも鳴る事がしばしばある。
で、前に言ったように、高音が聞こえない難聴者の場合、
このハウリングが聞こえません。
気軽に、遠慮なく教えてあげてください。

長い間、補聴器と付き合ってきた友人の中には、
よく聞こえる補聴器より、長時間聞いて疲れない補聴器の方を選び、
かえって、安い補聴器を使うようになった人もいます。


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では、次に
聞こえない事で、どのような感情や人間関係が生じてくるか、
お話します。

人の話は、事物の情報だけではなく感情をも伝えています。
だから、聞こえなくて、聞き返す事が出来ないこともある。
聞こえたふりをしてしまう。

例えば、皆が楽しく話をしている時に、何度も聞き返すのは、
その場の雰囲気を壊しやすい。
他愛もない話をして気持ちを通わせる時に、
聞き返されたら、何度もは言い返しにくいでしょう?
しらけたりします。

それから、他の人がいるところで、大きな声で話づらいこともあります。

「あなたのこと、嫌い、じゃない」
「ちょっと、手洗いに行ってきます」
「そんなこと、大きな声で言うもんじゃないわ」

話が込み入っている時、
聞き返すのが、聞こえていないからというより、
理解していないからと思われて、癪な時もあります。
聞こえていないのと理解できないのとを混同されるのです。

また、聞くことに一所懸命で、
その後、聞いたことについて考える。

これは、よく聞こえる人がほぼ同時にしていることで、
例えば、喧嘩のシーンなどを思い出していただけたらいいかと思います。
聞こえていないと、ああは、丁丁発止と、やり合えない。

聞こえない人には、聞く事と答える事との間に、ズレが生じて、
これも、頭が悪いという風に見られがちで、かなしい。

私自身、実際頭が悪くて、
理解不能・判断不能な時があるので、
このことについてはこれ以上つっこみません(笑)

また、次のようなコミュニケーションもあるでしょう。
言いたいのではなく、聞いて欲しい。
そういう話は、大きな声でしづらいし、くり返し話しにくい。


世の中には、よく聞こえている人の間で、
聞いて聞かないふりをする場面があります。
また、故意に相手に何度も同じ事を言わせる場面もある。

だから、聞こえない事が、複雑にねじれた場面を作ってしまう。

相手を馬鹿にしたように受け取られたり、
生意気に思われたり、します。



よほど気が強い人でないかぎり、
対人関係において、引っ込み思案になっていきます。
物の見方が、悪い方へと向います。
いい方へ向けて考えるより、後の始末がいいので…。

引きこもりがちになり、暗い考え方になっていく。
こうして、ますます人から離れていく方へ拍車がかかって行きます。

聞こえない事が、聞こえない人に及ぼすこのような事を考えますと、
何よりも大事なのは、
聞こえない人に対する信頼です。

いろいろな人がいて、中には素直じゃない人もいる。
そう、ひねくれた人もいるかもしれません。
でも、聞こえない人は、うまく要領よく立ち回ってやろうという考えは浮かび難いものです。
やろうとしても出来ないし、偶々出来ても続きませんから。
どうしても、愚鈍な方へ寄っていきます。



相手が聞こえていない事にたって、その場に応じた対応をしていただけたら、幸いです。

大きな声が出せなければ、書く。
その場で繰り返して話す余裕がなければ後でゆっくり話す。
ゆったりとしたコミュニケーションを心掛けてください。

ポンポンとした受け渡しを楽しむコミュニケーションを楽しみたかったら、
相手の聞こえに合った方法を選んでください。


聞く、話すは、なんといっても気軽なコミュニケーションですし、
その効用は、大変に広く深いものがあります。

聞こえが残っている人ほど、
そういう日本語のコミュニケーションを選びます。
また、そういうコミュニケーションをしている人の絶対数が多いので、
家庭でも職場でも難聴者は健聴者の傍にいることが多いのです。

手話を使うのは、全く聞こえない人、ほとんど聞こえない人が多く、
また、そういうコミュニケーションが成り立つ場面へと寄っていきます。

聞く事話すことに寄りかかった生活をしながら、
手話を身につけ、使うのは容易ではありません。

だから、要約筆記は、難聴の多くの人にとってありがたいのです。

どうぞ、これから、宜しくお願いします。

2004.7.20
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by kimipoem | 2004-10-10 01:30 | 聴覚障害

聴覚の特性

朝日新聞投書欄に、
「高齢者の聴覚特性を知って」
という投書が載っていました。
(2004年6月4日に掲載)
高齢者に限らず、
補聴器を使用している難聴者の多くにも当てはまる、
と思い、ここに控え、紹介したいと思います。
(私の任意で抜粋し紹介していますm(__)m)
テレビ番組のBGMが大き過ぎるという投稿に対する文章です。

これは、概して若い人が多いミキサー(音量・音質調整技師)、ディレクターなど番組制作者が、高齢者の聴覚特性を知らないのが原因だと思います。
人間の聴覚系には聴覚フィルターといって、
聞きたい音とそうでない音を分離する機能があります。
このフィルター機能は、やはり年齢とともに低下し、
騒音や音楽の中から聞きたい声を分離して聴き取ることが苦手になってきます。
…。
雰囲気を少々高めるより、せりふが聞き取れることの方が重要です。

(筆者は、大学で聴覚心理学も専門の一つとしておられた由)

補聴器は、入ってくる音を増幅しますが、
その中には、聴覚フィルターはありません。
補聴器をつけている児童の為に、教室の椅子の足へテニスボールをつけるのも、
ここから出る音を抑え、他の重要な音声を聞きやすくする為です。

デジタル補聴器では音を操作処理できるようですが、
ここでの聴覚フィルターにはあたらないでしょう。

テレビの音に限らず、大勢の人声の中から、
目的の声をより出すのが困難なのも、同様です。

補聴器を着けさえすれば、という誤解を一つでも解きたく、
紹介させていただきました。


2004.6.5 記
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by kimipoem | 2004-10-10 01:28 | 聴覚障害