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カテゴリ:季節( 6 )

秋の京都

2008年10月26日、
京都の秋はまだこれからでした。

小雨後曇りの空模様でちょっと肌寒い。

清水寺は、三度目か四度目で、
いつもながら参拝客が多い。
入場券を見るとちょっとしゃれた紙に、
秋ヴァージョンの装いで、
おお、金かけてんな!
と感心する。

嵐山に着いたとて、
取り立てての感激は無く、
いつかどこかで見た風景の中に降り立った気分である。

「京都嵐山美空ひばり座」と改名した、
「美空ひばり館」があって、
知らず、ちょっと驚く。
入らなかったので、何故ここに?
の謎はそのまま。

嵐山のトロッコ列車は、知る人ぞ知るで、
私は知らない人でした。
保津峡に沿い、旧山陰本線を利用した路線で、
五両編成の内、一両がオープン車両で、
当日のような天気では本領を発揮できませんね。

16時50分トロッコ嵯峨出発の便でしたが、
この時期、遅い。
駅周辺のアップライトが味わえるのが特典ですが、
紅葉は未だです。
車窓から見下ろす保津川がちょっと陰気。
もっと明るければ、
峡谷の暗さも味わいがあったでしょう。

保津川下りは、乗ってみたい!
と思わせる。
結構浅瀬での波がここかしこに多くあって、
これは、スリル満点、涼感申し分なさそう♪
紅葉の中を下るのはどんなに気持ちいいだろう?
しかし、人が多いだろうな…

途中一二度、止まります。
上の方に、現在の山陰本線が見え、
そこでも止まっていました。
暮れる夕空をバックに車内の明るさが際立つ。

又、ハイキングコースの途中、
愛宕山の山頂にある展望台も見えました。
ガイドによれば、東に向かえば、
高尾との事。
二十年以上も前にぶらりと神護寺を訪れた際には、
紅葉の真っ盛りの中、人影少なく、
静かな京の山奥をたっぷり堪能できました。
明恵上人の心遣いに感謝したものです。

亀岡に着いた頃はとっぷりと暮れていました。
天気不良、時間遅し、でも、
ほぼ満員。
盛況の事業で、
保津川下りが出来なかった方への慰めとして十分か、
もしくは、悔しさ未練倍増でしょう。

ここから高速までが、又、長く、
ちょっと転寝してもまだ暗闇の中を走っており、
道に迷ったのではないか?
と不安になったりする。
ようよう高速の明かりの中へ入ってホッとするも、
まもなく、渋滞で延々と続くテールランプの明かりを見たら、げんなりでした。
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by kimipoem | 2008-10-30 22:13 | 季節

季節の変わり目に旅立つものへ

昨日の2004年3月25日金曜日が、岡山大学の卒業式でした。
その一週間前が、市内の公立小学校の、
更に前日が、中学校の卒業式でした。
一つのゴールラインですね。
それは、また、そのまま、先へのスタートラインになります。
夢を持って、力強く羽ばたいて行ってください。

中学の卒業式の朝、
いつものように渋滞で止まった橋の上から、
旭川の川面を見やると、
先の方に大きな群れをなしている水鳥たちがいる。
渡りの途中の鳥たちだと直感しました。
そうすると、今までここにいた鳥たちはもう旅立ったのかな、
と思いながら見回すと、珍しく川から上がって岸辺の草をついばんでいる。
これは、旅立ちの準備だな、と分かる。
瞬時、映画「WATARIDORI」が思い出されました。

今、こうしている内にも、
南極を発った鳥達が暴風圏を越えているだろうし、
南洋の諸島をつたいながら、ツバメ達が必死にこちらへ向っているだろう。
又、インドからヒマラヤを越え、鶴が中国へ入っているかもしれないし、
フランスのエッフェル塔の傍らを飛ぶ一群れもいるだろう。
更に、ハドソン川の水面近くを這うように飛んでいる鳥たちもいるだろう。
世界のあちらこちらで、さまざまな鳥たちが渡っているのを、
一つ一つ想像していくうちに、なんか、ちょっぴり胸が熱くなってくる(^^ゞ

そして、そんな鳥達を見守る人たちもいれば、
無論、無関心な人たちもいる。
あなたは、どちらでしょう?
渡り鳥を見守る余裕がなくとも、
思いやる余裕を持っていたい、と思い直し、
車の中で座り直しました。(笑)

卒業していく子どもたち、渡る鳥たち、
共に、幸運を祈りながら、
頑張れっ!と声援を送ります。
そして、そんな気持ちにしてくれて、ありがとう♪
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by kimipoem | 2005-03-26 17:22 | 季節

珈琲時光【こーひーじこう】

近々わが街のミニシアターで上映される映画のタイトルから、
この言葉を知りました。パンフレットから書き写しておきます。

珈琲を味わうひととき。気分転換し、気持ちをリセットして自分の
人生に立ち向かうことができるような、短いけれど貴重で濃密な時間、
という意味が込められている

珈琲に限らないけれど、
なにかを終えた時、なにかをしている最中でも、
ちょっと一杯飲んで過ごすひと時は、
暮らしの中の時間に添えられた節のようです。
なにかに流されてズルズルと時を過ごしてしまわないよう、
今、生きてあることを確認するように、
こういう時間を大切に、挟み込みながら暮していきたい。

時の経つのを忘れている時でも、というか、
あえてそういう時にこそ、このひと時だけは忘れないでいたい、
とも思います。
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by kimipoem | 2005-01-04 19:25 | 季節

北海道大ポプラ並木

先の台風18号で、51本のうち、19本が倒れた由。
再生作業が始まり、大半が若木に植え替えられます。
その若木を10年程前から、ボランティアで育ててきた方が、
10月11日付朝日新聞「ひと」欄でされています。

北大きっての造林の専門家松田彊(きょう)さんです。
100年近い歴史を持つので、「元の姿のままに」という声はありましたが、
松田さんは、次のように述べておられます。
「無理がある。木は生き物。
神社や仏閣のように補修で済まされるものではない」
自ら40年もそこで研究してこられた松田さんとて、寂しいのに、
この言葉を発せられる。

「樹木との共生を考えるきっかけにしたい」。
倒れたポプラを、そんなふうに生かしてやりたい。
そういう松田さんの思いが切に伝わってくる言葉として、
私は受け取りました。

「いびつな形に切って立て直すことが、木にとっても良いことなのか。
ポプラの若木はスッと伸びる。
30年もしないうちに元の姿に戻るでしょう」
ポプラに寄せるその思いから、私たちが忘れがちなものを、
汲み取れそうな気がします。

人は木がないと生きてはいけないと考えられています。
でも、私は、時折、そういう事を忘れてしまっている。
なにかの折に、ふと思い出し、
ポプラ並木、けやき並木、などや、ちょっと大きな樹木を想い、
慰めや励みにしているだけ…。
雨の中に立つ樹が、その中に雨をしっかりを受け止め含めている。
そんな事も含め、役に立つ立たないといった以上のものを、
もうすこし、大切にしたい、と肝に命ぜられました。
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by kimipoem | 2004-10-11 16:12 | 季節

51度目の秋

先日、出勤時、旭川に架かる急勾配の橋を登っていると、
路面以外に目に入るのは、広がった空だけ。
その空いっぱいに、うろこ雲が浮かんでいて、
思わず空全体を見渡したくなり立ち止まる。
もう、秋の真っ只中!深呼吸する。

昼下がり、道端の塀に上がって柿を取っている人を見かけました。

今年の秋は、こういう好天が少なく、
台風が多く、いつにないコースを取って通り過ぎていく。
そして、台風一過の秋晴れより、尾を引いた雨模様が続く事の方が多い。
娘の運動会も始めは小雨の中でした。

女心と秋の空という言葉を久々に思い出しました(^^ゞ
秋の言葉と言えば、「秋の日はつるべ落とし」というのもありました。

これも先日の事。
仕事を定時に終え、試写会を見る為、西隣の倉敷へ向う。
まだ、6時前なのに、もう夕陽は見えなくて、
だんだんに降りていく夜の帳が見えるだけ。
ラジオをつけると、東京はもうすっかり暗くなっている由。

映画を見終えての帰り道、
この前は全開にした車窓、今夜はぴたっと締め切ったままです。
ちょこっと、ファンヒーターを入れました。

長く暑かった夏が過ぎて、ホッとし、それでもちょっと寂しいような気もします。
秋はやはり、心静まる季節ですね。

このところ立て続けに映画を見た所為か、
今、本を読みたくて堪りません。
でも、寄る歳の表れで、ちょっと文字が見づらくなってきている。
離せば焦点が合うも文字が小さいので、
眼鏡を外して本を読む。(^^ゞ

歳を取ってゆっくりできるようになったら本を読もう、なんて甘い!
本を読むには若いほどいいのです。
視力だけでなく、思考力も記憶力も、格段にいいのですから。
ああ、もっと、もっと、読んでおけば良かった…。
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by kimipoem | 2004-10-10 18:04 | 季節

気づけば隣に座っていた秋

この季節の変わり目、私には、朝晩からやってきました。
朝、涼しくなって、目覚めが良く、出掛けて雨上がりだと肌寒くさえある。
夜、いつものように風呂上りに、扇風機に当たりっぱなしになっていると、
思いの外、体が冷えてしまう。

毎日会社の昼休みに外出して、目にしていた田圃の稲穂の先が、
いつしか黄色くなって、そこはもう確かに秋に入っていました。
それから、駐車場の向かいの家にあるイチジクの実が生っている。
ちょっと先にある柿の木には実らしきものが出来始めている。
小さい秋を見つけたというより、ふと気付けばもう秋の気配に包まれていました。

夏が好きな人には寂しく、秋が好きな人にはうれしい時候ですね。
あなたは、どちらでしょう?

人ぞれぞれに好きな季節の歌があるでしょう。
秋になって私が思い出したのは、
「誰もいない海」「秋でもないのに」「落ち葉のコンチェルト」「秋はひとりぼっち」等など。

講談社から出ている小冊子「本」に、
「ぼくの歌、みんなの歌」という森達也さんの連載ものが有り、
その8回(2004.8)で、「落ち葉のコンチェルト」が紹介されてありました。
読んでいた病院の椅子からずり落ちそうなくらい、ショックを受ける。
センチなメロディーに酔っていたけど、
本当は深い主体性を歌い上げているのだった…。

「秋でもないのに」を歌っていた本田路津子さんが、
わが街の教会へいらっして、歌うのを目の当たりに見られたのは、
もう何年前だろうか?
いつしか自然に引退していったような感じを受けていたのに、
教会で無料で彼女の歌が聞けると知った時、大変驚きました。
信者ではありませんが、神の恵みを受けるべく、いそいそと出かけました(笑)
手話を交えた賛美歌も歌われました。
彼女の歌声に酔いしれて会場を出る時、同じ神の子と見間違えられそうになって、
冷や汗をかいたのも懐かしい思い出です(^^ゞ

他にもいろいろ曲はあるはずで、
何かの拍子にパッと脳裏に甦るのは、
ちょっと楽しくもあります。

2004.92
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by kimipoem | 2004-10-10 01:41 | 季節




ポケットには納まりきれないものを…(笑)
by kimipoem
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